【第 57 話】 葛 ◆.zethFtqnU 様

『声』

 

普段はメールでやり取りしているのに、その時だけは何故か電話で話をした

『でさ?、この御時世(…ザザッ…)に、仕事があるだけいいのかもしれないけど、(…ザザッ…)毎日残業でさ、
 帰るのいつも10時(…ザザッ…)くらいになってさー』
その日はやけに彼女の声に混じってノイズがひどく、聞きづらかった
そのうち、ノイズがどうも人の声のように聞こえてくるので、彼女に聞いてみた
「……今、テレビかなんかつけてる?」
すると彼女は、『あ、またかぁ?』とあっけらかんとして教えてくれた
『ここ(…ザザッ…)最近さ、電話して(…ザザッ…)るとよく言われ(…ザザッ…)るんだ。
 「今テレビつけてる?」と(…ザザッ…)か、「後ろ、誰かいる?」とか』
他にも、電話でなくても「今何か言った?」と最近になってよく聞かれるようになったと彼女は言う
その時ちょうど会話が途切れて、ほんの少し沈黙が下りた
『……ザザッ……ザザッ……ボソボソ……ザザッ……』
やっぱり人が喋っているように聞こえる。こちらが聞き取ろうとしているのを察してか、彼女も息をひそめる
耳を澄ませ、受話器の向こうに神経を尖らせると、
『ボソッ……、……ロ、…ゲ…、……ザザッ……、……』
聞きづらいノイズに混じって微かに聞こえた一つの単語
「……気のせいかもしれないけど、この声『逃ゲロ』って言ってない……?」
恐る恐る切り出すと、怒るかと思った彼女はむしろ持ち前の明るい声で、
『ヤだ、怖いこと言わないでよ。「逃げろ」って、一体何から「逃げる」って言うのよ。そもそも何処に逃げればいいのよw』
「そう……だよね。やっぱり気のせい……かな。ごめんね、変なこと言って」
そう言って他愛のない話をしてから電話を切る

2011年3月7日
それが、彼女の声を聞いた最後になった

【了】