【第 81 話】 K ◆IZLbs9qZm. 様

『無題』

 

パチンコ屋で知り合ったオッサンに、万発超えをしたから美味いものでもご馳走してやると誘われて何人かで一緒に寿司を食いに出かけた。

リストラの憂き目に遭ってギャンブルに溺れ、退職金を使い果たして女房と子供に見捨てられたと云うオッサンは、
数ヶ月程前から随分と羽振りがよくなっていて、その頃は随分頻繁に酒や食事をご馳走になった。
その日も俺や他にも常連を二、三人連れて寿司を食い、何件か飲み屋をはしごしていたものの、
一人減り二人減り、とうとう俺だけが残されて、ぐでんぐでんのオッサンを家まで送っていく事になった。

家には帰りたくない。まだ飲もうと唸るオッサンを説得し、住まいを聞き出しタクシーで向かう道中でオッサンが急に胸を押さえて丸くなったままヒクヒク痙攣し始めた。

心臓発作か何かだったか覚えていないが、持病があるというオッサンの言葉に驚き、一旦は運転手と最寄の病院へと進行方向を変えようかなどと話していたが、
家はもうすぐそこだというし、頓服のようなものがあるので取ってきてくれと頼まれて、俺はオッサンをタクシーに残し鍵を借り、薬と保険証とを取ってくる為に家へ入った。
 

オッサンの家は小さな平屋で、生活スペースも6畳程の茶の間に凝縮されているようだった。
敷きっ放しの布団にコタツ、壁際に小さな茶箪笥がひとつあり、指示された引き出しを開けた瞬間に俺は誰かと目が合った。
まったく馬鹿な話だが茶箪笥の30センチ四方も無いだろう小さな引き出しの中に、みっちりと言った感じに折りたたまれた子供が此方を向いているように見えたのだ。

思わず声を上げ視線が逸れて、もう一度そこを覗いた時には言われた通り、保険証やら診察券が輪ゴムで一括りになって収まっている。
酔っていたのだし、見間違いなのは確実だ。
自分にそう言い聞かせて俺は保険証と薬を手にしてその家を出た。

オッサンを病院に送り届けて、そのまま家に帰った俺は妙な違和感に苛まれながら眠りに付いた。
一人の筈の家の中に誰か居るような気配がしていて、そいつはじっと自分を見ているように思える。
案の定その日は悪い夢を見て目が覚めた。

どことも知らない薄暗がりを、大勢の恐ろしい何かに追われて必死に逃げる。
追いかけてくる何かの正体はまるで分からず、夢の中の自分は何度その夢を見ても夢の中ではそれが夢だと気付かないまま汗だくになって逃げ回り、酷い頭痛と胃袋が裏返るような吐き気と共に目が覚める。
そんな事が繰り返し起きるようになり、俺は段々オッサンのように家に帰るのが嫌になってきた。
仕事が終わるとパチンコや雀荘に行き、勝った金でキャバクラや風俗に通い詰めていた。
幸い外では恐ろしい夢を見る事もなく、資金が尽きる事もなかった。
パチンコに行けば連荘が止まらず、さほど強くも無い麻雀でさえ勝ちが続いた。

ただ、誰かに見張られているような妙な気配はいつまでたっても収まらなかった。
 

ある日、着替えの為に家に戻って風呂に入っている時だった。
やっぱり誰かの視線を感じ、風呂桶の中に目を遣ると湯沸かし器と繋がっている穴の中に目玉が見えた。
その瞬間に、ガツンと頭を殴られたような痛みがあって、もう一度そこを覗くと目玉は消えてなくなっていた。

目玉はいつも俺を見ている。

全体が見える事は殆ど無かった。
カーテンの隙間。ほんの少しだけ開いた襖の向こう。換気口。
ありとあらゆる暗がりや、隙間の向こうから俺を見ている。
そして目が合うたびに、ドスンと何か重いもので殴られたような痛みに襲われる。
それは腹だったり、顔面だったり、その都度息が止まって蹲る程に酷い痛みでとても我慢できるようなものではなかった。

誰かに相談しようかと思ったが、やめた。
その時にはもう、何となく自分がパチンコや麻雀で勝ち続けている幸運と、この目玉の主との関係に気付き初めていたからだ。

一度だけ、目玉の主の全身が見えたことがある。
台所のシンク下、普段開ける事なんか滅多に無かった観音開きの物入れを開けた時だった。
そこには不自然に身体を折って、首を真横に傾けながら此方を見ている全裸の子供が収まっていた。
ひどく痩せこけて、肌の色は灰色がかり、頭と目玉だけが妙に大きく見える程に骨ばった性別さえも分からない子供のカサついてひび割れた唇が裂けるように開き、節がやけに目立つ指が顔を覆って耳を劈くような悲鳴を上げながら俺を睨んだ。
鳥のような猫のような、人間とは思えない耳障りな悲鳴と共に俺はこれまで味わった事も無いような痛みを感じて気を失った。
 

その時俺は、ようやくあの子がオッサンの家の茶箪笥の中に居たものなのだと気が付いた。
探し出したオッサンはひどく痩せこけ、数ヶ月の間に何年も歳を取ったように老け込んでいて、素人目にも容態が良く無い事が分かった。
それなのに気味が悪い程ギラギラした目でパチンコを続け、台から視線を離そうとしない。
闇金から金を借り、あの幸運の日々が忘れられずにパチンコを打ち続けている。

俺もああなってしまうんじゃないか。
初めて現実の恐怖を感じた俺は、あの子供から逃げる事にした。

方法ならもう分かっている。
誰かが俺の家であの子供を見つけてくれさえすればいい。
例え今までの事が全て幻覚だったとしても、その時はそうする事が一番のように思われた。

俺は友人を家に招いて、探し物を頼む事にした。
案の定友人は探し物と同時に子供を見付け、子供は友人と共に出て行った。
俺はパチンコで勝つ事も麻雀で勝つ事も滅多に無くなってしまったけれど、平穏な暮らしを手に入れた。

今でもたまに、隙間から誰かに覗かれているようで落ち着かない事がある。
それに他人の家に上がるのはなるべく控える事にしている。
特に探し物を頼まれた時は決してどこかをあけたりはしない。

【了】