【第 32 話】 ヨサック ◆skAMDOCpdQ 様

『緑』

 

知人の女性・Sさんは数年前に父親を亡くした。
通夜だ葬式だ初七日だ、と忙しかった日々も一段落してしばらくした頃、
Sさんは急に深酒をする様になったのだという。
元々酒が好きではなかったので、おかしい、やめようと思うのだが、
意に反して夜になれば酒をあおり、酔いつぶれるまで飲んでしまう。
亡くなった父親は大酒飲みであったので、さては父の仕業かと思い至った。
だが仏壇に酒を供え、止めてくれるように手を合わせても、まったく効果がない。
実家を離れていた妹さんもSさんの異変に気付き、遠まわしに病院に行ってみないかと勧めてくる。
それもそうだな、と受診を考え出したそんなある日の事だ。

また酔いつぶれ居間で眠っていたSさんは、ふすまが開く気配で目を覚ました。
見ると、亡くなった父が立っている。不思議と恐怖は感じなかった。
父の方も久しぶり、等とごく普通にふるまう。向かいに座った父にSさんは尋ねてみた。
「お父さん、私の体借りてお酒飲んでるでしょう?」
「うん…すまんな」
「体が辛いから、もう止めてもらえない?お酒はお供えするから」
「分かったよ」
ばつが悪そうに頭を掻く仕草は、生前の姿そのままだった。

しばらく他愛もない会話をしていたが、夜が明けるのを見た父は、そろそろ行くかと腰を上げた。
Sさんも外まで見送るよ、と一緒に玄関に向かう。
だが、父が開けたドアの外は、いつもの景色ではなかった。
見知らぬ何処かの住宅街が広がっている。でもそれだけではない。

 

緑。緑。
色セロハン越しに眺めたように、世界中が緑色に包まれていた。

ああ、この人とはもう住む世界が違うんだ。
そう感じた途端、急に恐ろしくなり足が竦んだ。
「…それじゃあな」
父は軽く振り返ると静かに扉を閉めた。Sさんはどうしても外に出る事が出来なかった。
この日を境に、Sさんの深酒はぴたりと止んだそうだ。

父親の四十九日、その朝の出来事だという。

【了】