【第 16 話】 備担◆.1AOTdzS5s 様
『父の入院』

 

祖母が亡くなって四十九日も経たないうちに父が倒れた。
原因は祖母と同じ、脳卒中だった。相当悪かったらしく病院に行くなり即入院、その日のうちに手術という流れだった。
術後の説明で主治医は「ほんとうにどうなるかわかりません」と言った。医者っていうのは普通、むやみに希望を持たせることは言わないもんなんだけど、この場合はつまり、駄目でも諦めろって予防線をはったわけ。

私は父も祖母も好きじゃなかった。祖母は、田舎の農家にありがちな長男溺愛タイプで、早くして夫、つまり私の祖父を亡くしてからはその傾向に拍車をかけたらしい。その結果甘やかされた父は、酒を飲んでは癇癪を起こし、箪笥の財布から金を抜いてはパチンコにいくようなダメ人間になっていた。
だけど、そんなダメ人間でも母にとっては夫で、だから母の動揺は大変なものだった。

麻酔が切れても、父は眠ったままだった。次の日も、次の日も、その次の日もずっと。
座薬を入れても熱が40度代から下がらず、体中浮腫んでパンパンで、親類は祖母が父を連れて行くんじゃないかなんて噂してた、まぁ無理もないけど。母は連日病室に泊まり込んでいたけど、体力的にどうかと思ったのでさすがに一週間も続いたころ強いて家に帰らせた。私が代わりに泊まるって条件で。

病室に簡易寝台もあったけど、ナースステーションの隣にあるベンチで寝ることにした。消灯時間になれば人はめったに通らないとはいえ、廊下からまる見えの場所で落ち着かないし慣れない場所でもあるしで、夜半過ぎても寝付けず。
明りを付けることもできないから、目を閉じて時が過ぎるのをじりじり待っていたんだけど、そのうち寝落ちしたみたい。
 

ふっと目が覚めると、私のすぐ横の廊下を誰かが歩いて、エレベーターのあるホールから病室のほうに向かっていった。
トイレかなぁなんて思ってまた寝ようとしたときに、ふと気づいた。並び順として、ホール→ベンチ→ナースステーション→トイレ→病室なわけで、ホールから病室のほうに向かって歩くのは、外から来た人しかいないわけ。
入院患者がエレベーター使ってどこかに行って戻ってきたってこともありうるけど、脳外科患者のいる病棟だから、ほとんどは車いすか介添え付きで移動する。
あれ?と思って見ると、暗いからよくわからないけどナース服着てる感じじゃない。

その人はナースステーション近くの病室に入った。ちなみに父の病室もそのあたり。
やっぱり入院患者だったのかなぁなんて思いながら寝なおそうとして、でも目が冴えてしまったんで、トイレに行くついでに父の様子を見に行くことにした。仮眠中なのか、ナースステーションに看護師の姿はない。深夜の病院の廊下は、床も壁も天井もグレーの濃淡で、非常灯の緑色の明りだけが唯一といっていい色彩。人影もないし、まともに見るとちょっと怖い。なので、あまりきょろきょろせず病室をひょいと覗た。
4人部屋で、父は右側の奥のベッド。

起さないように静かに…と思ってたら、ぐぐぅというか、へんな声が聞こえた。
イビキかと思ったら、小さな咳っぽい音もする。
ん?と思った。私は喘息持ちなんだけど、その音、気管が炎症起こして息ができないし咳をする体力もない時に出る咳っぽいのに似てたんだよね。そうっと病室に入って確認すると、音の出所は右側の奥のベッド、つまり父だった。
暗かったけど、酸素のマスクが少しずれているのが見えた。

 

後は、深夜のひと騒動。
ナースコールのボタンを押すと、看護師がふっとんできて、当直の医師もふっとんできた。医師は父の口をこじ開け、咽喉の奥を見て、器材を口の中に突っ込み、何かを引っ張り出して、金属の皿の上に置いた。
どろどろの体液にまみれた、ぱっとみ軟骨のような、直径3,4cm程度の薄い円盤状のもの。
これが父の咽喉を塞いでいたらしい。

その軟骨っぽいのが何時父の咽喉に入り込んだのか。
手術したのは脳だから手術のときに紛れ込むわけはないし、食事をとれる状態でないから飲み込む機会があるわけでもない。
何より、それの正体が何だかわからず、医師も首を捻るばかり。

ともかく、処置は済み、父の呼吸は元通りになった。
それから三日程度して父は目覚め、半年後には完全に退院した。

私が見た人影と、父の咽喉に詰まった物との関連はわからない。
主治医はそれを調査に出すと言っていたけど、聞くタイミングを逃したし、彼は今は別の病院に移動したという。

 

【了】